狂科学者の島にて。
ざばざばざば・・・と波を切って、クルーザは進んで行く。 これに乗り換えたのは早朝なのに、今はもう昼だ。 既に陽は高く上って、初夏の日差しを注いで来ている。 空には雲一つ無く、海には雲丹一つ無い。 純粋な青と青の間に、僕は居る。 ・・・うーん、身体が痒くなりそうな表現を使ってしまった。 つまり、面白くも何とも無い海の上を、船は進んでいるのである。 暑い。
と思っていたら、ふいに日が翳った。 雲一つ無い空のはずだったのに、と空を見上げると、手を伸ばしたら届きそうな所に傘が有る。
「――xxxさん」
傘の端を指の腹でなぞっていると、背後からセリオの声がした。 「――何をしているのですか?」
「手の届く所に傘が有るなぁ、って」
「――・・・退屈なのは分かりますが、無理やり変な幻想を見なくても」
分かってるよ、と言いつつ、振り返る。 そこには、薄紅色の無地の着物に赤い袴、という、はいからさんが通る、のような格好をしたセリオが立っていた。 白銀色の日傘を、僕の頭上に差しかけている。 彼女は、僕に一歩近づいた。
「――それにしても」
船の舳先の方をチラリと見てから、セリオは僕を見上げた。 ぴょこ、と遅れてポニーテールが跳ねる。 「――本当に、島の影も形も見えませんね」
「うん」
さっきも言った通り、昨晩乗っていた貨物船から、このクルーザに乗り換えたのは、早朝であり、今は昼だ。 でも、一向に、白雲先生、とやらの島にたどり着く気配は無い。 船の規模からして、それほど長い航海になるとは思えないのだが。 変である。
変と言えば。
クルーザ、と聞いた時に思い浮かべる、その船体の色は、普通、何色だろうか? デフォルトでは、白、だと思う。 スッと鋭角的なデザインをした、真っ白な船が、蒼い海原を颯爽と走っていく・・・それが、イメージというモノだろう。
しかし。
この船、何と黒いのである。 しかも、どちらかと聞かれたら、むしろ鈍いフォルムをしている。 小奇麗な感じは全くしない。 むしろ、無骨、という言葉が良く似合うデザインだ。 じゃあ何でそんな船を、クルーザ、と呼んでいるんだ、看板に偽り有りじゃないか、と言う向きも当然有ろうが、仕方無いのである。 なにしろ、船の持ち主が、クルーザだ、と言い切ってしまっているのだから。 こちらが疑問を挟む余地など無いほどに。 王子様、と聞いて線の細い美少年を想像していたら、ヒゲ面のクマみたいな親父が来てしまったシルフィールの気持ちが、今は良く分かる。
・・・ふぅ、と鼻から息を抜く。 右舷まで歩いて、そこの手すりにもたれた。 セリオもトコトコと付いて来て、また、日傘を差しかけてくれる。
「ありがと」
「――いいえ」
手すりにもたれつつ、身体を反らして、船の後方を見る。 黒くてゴツい船体と、やはり何にも無い海原が見えるだけ。 すぐに身体を起こす。
「・・・そいえば」
「――はい」
「鞄は?」
セリオが鞄を持ってない事に、今更ながら気付いた。
「――船室の方に。 海に落としてしまったら、大変ですから」
「ああ、そうか・・・他の人達は、どうしてた?」
「――映一郎さんとせりおさんは、操舵室に居ました。 源四郎さんは、私が見掛けた時には正拳突き50本を始めてましたから、今頃はスクワット50本でしょう」
この時代に、スクワット、なんて言うトレーニング術は有るのだろうか。
彼女は続ける。
「――紅玉さんは、船の後方隅で、虚ろな目をして、しゃがみこんで居ました」
「船酔い?」
「――いえ。 あの、よろしいですか?」
「何が」
「――『こんな所では何のロマンスも生まれませんわ・・・いっそ自沈させてしまいましょう・・・極限状態での恋愛模様なんて素敵ですわうふふふふふふふふふふふふふふふふ・・・』、だそうです」
恐いってば、それ。 いちいち忠実に再現しなくてもよろしい。 しかも、セリオの抑揚の無い声だから、怖さ倍増である。 自分で様子を聞いておいて、こんな事を言うのも何だが。
「で・・・」
メンバが1人足りない。 何処に居ても存在感の塊みたいな人が。 「美霊さんは?」
セリオは、傘を持ち上げるようにして、少し位置をずらした。
「――美霊さんなら、あそこに」
愚問だった、と気が付く。 彼女が何をしているか、はともかく、何処に居るかは自明だったのに。
このクルーザで1番高い所に、朱色の塊が見えた。 言うまでも無く、美霊さんの巫女装束の袴の部分である。 どうやら、こっちにお尻を向けて寝ているようだ。
「――日当たりが良いんでしょうね」
猫じゃないんだから。
というか、暑くないのか?
初夏、日光を遮る物の無い海上である。
僕は日傘の下に居るから良いけど、あれじゃ美霊さん、日射病になるぞ。
そう思って、はた、と気付く。
「代わるよ」
セリオの返事を待たずに、僕は傘の取っ手の部分に手を伸ばす。 彼女の手に触れた。 ひんやりと冷たくて柔らかい。 気持ち良い手触り。 って、これは自画自賛に当たるのか?
彼女は首を振った。
「――いいえ、使用中ですので」
「?」
セリオは顔を傘の方に向けた。 僕も釣られてそちらを見る。 彼女は手首のスナップを利かせ、傘の柄を回転させた。
クルクル、と傘が回り、僕の目に、見なれた小さなロゴが入る。
<KURUSUGAWA Electronics>
クルスガワ電工製の日傘?
セリオの方に視線を戻す。
「――平たく言うと、充電中なのです」
彼女は傘を左手で支えると、柄を握っていた右手を開いてみせた。 手の平から延びたコードが、そこに巻き付いている。
「――この傘は」
セリオは手を振って、巻き付きを解いた。 「――太陽電池になっています。 フル充電にはかなり時間が掛かりますが、少しは、おなかの足しになりますから。 当然ながら、日中で無ければ使えませんけれど」
15時を過ぎた。 日差しも、大分、和らいでいる。 けれど、景色に変化は無し。 見えるものは、青い空と蒼い海だけだ。 ひょっとして、同じ所をグルグル回っているだけかも、なんて事を思い付く。
ふと横を見ると、セリオのポニーテールが、ユラリユラリと潮風にそよいでいるのに気付いた。 それをぷたぷたと手の平で揺らしてみる。 ちょっと楽しい。
「――何か?」
「いんや」
と言いつつも、僕はぷたぷたを止めない。 しばらく夢中になっていたが、ごそ、と何かが動く気配がしたので、びっくりして我に返る。
セリオが傘をずらす。
上の方で、美霊さんが起き上がっていた。 昼寝から目覚めたようだ。 ぼりぼり頭を掻いている。 はて、ここは一体、何処じゃいな、とでも考えているのだろう。 ぼんやりと辺りを見回すと、僕達に気付いて、右手をちょっと挙げた。
軽く会釈して、応える。
彼女は、自分の頬をピシャッと叩き、続いて伸びをした。 ゆっくり立ち上がって、肩を回している。 そして、かがみこんで、何かを掴み上げた。 長い棒状の物。 御神刀にして護身刀、百合一文字だ。 それを腰に差すと、美霊さんは、こっちに向かって、ためらい無く跳んだ。 くるり、と宙返りすると、僕たちに背を向ける姿勢で、危なげなく着地。
それを見たセリオは、すかさず着物の袂に空いている手を入れると、『10』と書かれた札を取り出した。 って、そんなモノ常備するなよ。
美霊さんは、振り向くと、ニィ、と笑ってこっちに歩いて来た。
「はよ」
「――おはようございます」
「ども」
昼下がりに、はよ、も何も無いものだが。
彼女は腰に手を当てて、舳先の方を見た。
「んー、まだ着かないのかな」
「――そんな気配は、全く」
「・・・もう、退屈ですわ」
そう、声がした。
向かいの舷から、紅玉さんが現れる。
「おや、お揃いですか」
さらに、船室へ続くドアをガチャリと開けて、源四郎君も出て来た。 2人とも、暇を持て余して来たらしい。
「暇ですね」
そういう彼だが、しかし、額に汗が光っている。 何かまた、超人的な――というか化け物じみた――トレーニングをしていたのだろう。 この中で唯一、時間を有効に使っていた訳だ。
「そいえば」
そんな源四郎君を見て、美霊さんが聞いた。 「源四郎、今日は泳がないのかい?」
そう。 彼は昨日は泳いで付いて来たのである。 決して低速では無い貨物船に。
「そのつもりでしたけど」
腑に落ちない顔をして、操舵室を見上げる源四郎君。 「止められました。 付いて来れなくなるから、って。 俺、体力には自信有るんですけど」
「体に自信・・・」
1名、何を想像したのか、赤面してクネクネしている人が居たが、みんな綺麗に無視した。
でも、妙である。 紅玉さんで無くて、源四郎君の事だ。 昨日の事から考えて、それほど速く航行している訳では無いこの船に付いて来るのは、彼にとっては難しいことではないだろう。 それとも、これからスピードアップするのだろうか?
そう考えていたら、足元の感覚に変化が起きた。 がくん、と船が揺れる。 バランスを崩してつんのめった紅玉さんを、源四郎君が片手で支えた。
「・・・減速、してるね」
美霊さんが、誰に、ともなく呟く。 彼女の言う通りだ。 スピードアップどころか、船は停まりつつある。 やがて、何にも無い海上で、本当に停船してしまった。 故障でもしたのだろうか。
故障。
何気なく頭をよぎったその単語から、僕は一つ思い出した。
「――紅玉さん」
セリオも、同じ事を考えたらしい。
「はい?」
「――まさかとは思いますが、これは貴女の演出では・・・」
「演出?」
美霊さんが首を傾げる。
「――『こんな所では何のロマンスも生まれませんわ・・・いっそ自沈させてしまいましょう・・・極限状態での恋愛模様なんて素敵ですわうふふふふふふふふふふふふふふふふ・・・』」
「いや、そんな物真似されても」
苦笑する彼女。 じろり、と紅玉さんを見る。
「わ」
ぶんぶんぶんぶん、と、オーバーアクションで当の本人は首を横に振った。 長めのおかっぱが揺れる。 「わたしじゃ有りませんわ」
「怪しい」
美霊さんに言われるんだから、これは相当に怪しいよなぁ、なんて、呑気に考えてみる。
「怪しくなんか無いです」
詰め寄って行く美霊さんから、紅玉さんは口元を引きつらせて後退する。 源四郎君はソロリソロリとカニ歩きで彼女から離れた。
「いや、怪しい」
更ににじり寄る美霊さん。
「違います、って」
「あくまでシラを切るつもりなら」
「・・・なら?」
「身体に聞くまでだぁ!」
大きく叫ぶと、美霊さんは飛びかかった。
「きゃー」
なんだか嬉しそうにも聞こえる声を上げて、紅玉さんは逃げ出した。
「逃ぃがぁしぃはぁせぇぬぅぞぉ〜」
変なイントネーションを付けて唸りながら、美霊さんは彼女を追い掛けて行く。 2人の姿は、すぐ、船室の陰へと消えた。
「・・・」
「――・・・」
「・・・」
取り残される、僕とセリオと源四郎君。
「まぁ、いつもの事ですけどね」
彼は悟り切った口調で言った。
と。
「にぎやかだね」
船の中から、映一郎さんが出て来た。
「――ごきげんよう」
せりおさんも、続いて現れる。
「あの、何かあったんですか? 故障ですか?」
すかさず聞く源四郎君。
「え?」
何の事、という表情を一瞬覗かせた映一郎さんだったが、すぐに停船の理由を聞かれてると思い当たったようだ。 「ああ、いや。 違うよ。 心配は要らない。 ちょっと・・・手続き、だな」
「手続き」
「うん。 島へ行く為の」
「――もうすぐ、到着ですよ」
せりおさんはそう言うが、しかし、島なんて何処にも見えない。 まさか、秘密の島と言うだけあって、実は海中に有るとか? で、この船には実は、グルリと引っくり返って潜水艇になるギミックが搭載されてたりして。
「――それではFF5です」
ぼそ、とセリオがツッコみを入れて来る。
・・・って、今のはモノローグだぞ。
「――マスターの意を汲むのは、メイドロボのつとめです」
嬉しいような、恐いような。
そう思っていると、遠くから2重に響くドタドタという足音と、
「きゃーきゃーきゃー」
「待ぁてぇ〜」
という声が近づいて来た。 あの2人、もう、甲板デッキを一周して来たようだ。
映一郎さんたちに気付いて速度を緩めた紅玉さんを、とうとう、美霊さんは、脇から身体に両腕を回して捕まえた。 そのまま、ひょい、と、抱き上げる。
「あン」
抱っこされた紅玉さん、なんだか嬉しそうに足をブラブラさせている。
「相変わらずですねぇ」
苦笑する彼。
「何じゃ、相変わらず、って」
顎で紅玉さんの頭をグリグリしながら、美霊さんは眉根を寄せる。
「別に他意は有りません」
「いいけどさ。 ・・・で、島とやらには何時着くんだい?」
「――間もなく」
と、せりおさん。
「まもなく、ったって・・・何にも無いじゃないか」
「――そこはそれ、秘密の場所ですから。 普通の方法では行けませんわ」
かすかに微笑する彼女。
表現がダブっているようだが、しかし、他に良い表現が見つからない。 実際に見れば分かってもらえると思うが・・・・まさにそれは、かすかな微笑、なのである。
「なら、どういう方法なら行けるっての?」
美霊さんが首を傾げた時。
ぼーっ・・・。
汽笛が鳴った。 周りに何も無いせいか、反響すること無く、音は空へと抜けて行く。 がくん、とひと揺れして、再び船はゆっくりと走り出した。
ざぶざぶざぶ・・・ざばばばばばばばばば・・・。
そして。
唐突に、霧が出て来た。 それはすぐに濃度を増し、辺りの景色を包み隠していく。
「・・・こいつは・・・」
美霊さんの声は、既に霧の向こう。 今の僕には、すぐ隣にいるセリオの上半身が見えるだけ。 自分の足元すら、白い空間の中へと、融けるように消え失せてしまっていて、見えない。
いくらなんでも、こんな自然現象はあるまい。 けれど、だからと言って、こんなふうに気象を操れる技術というのも、想像し難いが。 しかも時代が時代である。
「とりあえず、害は無さそうですね。 邪気も感じられません」
源四郎君の声が聞こえる。 「とはいえ、余り気持ちの良いものでも有りませんが」
きゅ、とセリオが僕の白衣の肘の辺りを掴んだ。
彼女の肩に、腕を廻して抱き寄せる。 セリオは背伸びすると、そっと耳打ちしてきた。
「――ソードワールドPCに、こういうシナリオが有りましたね」
・・・。
出来れば、何かロマンチックな事を言って欲しかった・・・そう思ってしまうのは、紅玉さんの影響だろうか? ちなみに、そのシナリオとは、海賊退治に乗り出した冒険者達が、スタンクラウドに捕まってさぁ大変、と言う内容だったはずである。
「大丈夫」
「――もう、抜けますよ」
映一郎さんと、せりおさんの声。 確かに、2人の声には緊張した部分が全く無いから、この現象は予想外のものでは無いのだろう。 それでも、心情的に身動き出来ない事には変わり無いが。
「――そうそう、白雲先生の筆名は、この霧に由来するんですよ」
いや、こんな時にそんな豆知識を教えられても。
そして。
前方が明るくなってきた。
そろそろかな、と思っているうちに、船は霧の中から脱け出した。
「!」
2名を除く全員が、目を見開き、言葉を失った。
霧に包まれる直前まで、何も無かったはずの船の行く先に、今、1つの島が出現していたのである。
「あれが、目的地。 白雲先生の島です」
「――おつかれさまでした」
映一郎さんとせりおさんはそう言ったが、しかし、その声は僕達の耳を素通りして行った。
少し落ち付いた目で、島を観察してみる。 ここから見る限り、その周囲は断崖だ。 波が、ざぱーん、とぶつかっては砕けている。 漫画の悪役が住んでいそうな、天然の要塞、という感じ。
船は、ゆっくりと、その崖にぽっかりと口を開けた洞窟へと近づき、そして、中へ入った。 日差しが遮られ、薄暗くなる。 セリオは例の傘を畳んだ。
岩肌剥き出しの『地下水路』を進んで行く。 入り口部分はギリギリだったが、通路部分の天井はけっこう高い。 たぶん、潮が満ちると、さっきの入り口は海面の下に隠れてしまうのだろう。 本当に、秘密基地、のノリである。 実は僕は、こういうのが大好きなのだ。 プールが2つに割れてロケットの発射孔になるとか、学校が変形して巨大ロボットになるとか。 日常が非日常へ転換するところが良いのだ。
なんて思っていると、洞窟を抜けて広い所に出た。 おお・・・これは。 地底湖、である。 ほとんどの部分は岩肌そのままだが、奥の1角には、人工的な構造物が数本突き出している。 港・・・というか、桟橋だ。 船は、それの一つに接岸した。
紅玉さんを抱いたままの美霊さんと、源四郎君は、甲板から直接飛んだが、他の人達は、船の後部へ廻って、そこから降りた。 無論、僕も。 セリオは一旦、鞄を取りに船室に戻っていたが、すぐに降りて来る。
振り返って、乗って来た船を改めて仰ぎ見たが、やはり、クルーザ、には見えない。 黒くてゴツくて、禍禍しい感じがする。 武装させると似合うような・・・そう、まさにそうだ。 船というより、艦だ、このクルーザは。
「なんだか大掛りだね」
美霊さんはそう評した。
「ええ。 先生は大掛りで無意味で馬鹿馬鹿しいことが大好きなんです」
映一郎さんの口調は、ごく真面目。
なんだか、分かる気がする。 そういう人物には、数名心当たりが有るし。
「あの、ひょっとして」
独り先に進んで、もの珍しそうにキョロキョロしていた源四郎君が、戻って来る。 「俺、泳いじゃいけなかったのは」
「――ええ」
肯いてから、船を見るせりおさん。 「――あの霧をくぐらないと、この島には来れませんので。 下手をすると、海の真ん中に置き去り、という事態になりかねませんから」
霧をくぐらないと、か。 考えにくいけど、やはりアレは人工的な現象のようだ。 しかも、ここへ来る為の、一種の『扉』のような物であるらしい。 島が突如現れた、のでは無くて、僕達の方が、島の有る所へと移動して来たのかもしれない。 さっきセリオは、それではFF5です、と言ったが、まさにソレである。 ここは、世界と世界の間にある、歪んだ時空・・・『次元の狭間』であり『蜃気楼の街』なのだ。
そんな風に解釈して自分を納得させていた僕だが、船のエンジンが止まり、辺りが静寂に包まれたことで、我に返った。
・・・そうそう。
ひとつ、故意に言って来なかったことがある。 この船を操舵していたのは、一体誰なのか、ということ。 それが、『彼女』だ。
「まぁ、こんな所で立ち話もなんだ。 上に上がろう」
最後に船から降りた『彼女』は、落ち付いた色の着物を着、短い髪と鋭い目付きの為に冷たい感じのする、長身の美人。 優しさと厳しさを共存させている。 僕とセリオは、『彼女』に似た人を知っていた。 ベアトリス=フレグランス。 別名を『シュアヴィリィ』。 しかし、『彼女』はトリシアさんでは無い。
「久穏(くおん)さん、おつかれさま」
映一郎さんが、『彼女』の名前を呼んだ。
久穏さんに連れられて、僕達は地底湖の奥から伸びた、緩やかな坂の洞窟を登って行く。 これが地上への唯一の通路のようだ。 自然に出来た物のように見えるが、よく観察すると、通路の両端には溝が切られていたり、石畳状に舗装された所があったりと、人の手がしっかりと入っているのが分かる。
みんな無言で上へ上へと進む中、彼女らしくない、ノロノロした歩みで最後尾に居たセリオが、僕の袖をちょいちょいと引っ張った。
「あの?」
「・・・何?」
他の人に聞かれて困る話題だろうか。 となると、マシントラブル? 身体に緊張が走った。 歩みを遅らせて、列から少し離れる。
「――何か、変な感じがしませんか?」
果たして、彼女はそう言って来た。
「・・・トラブル、か?」
内心冷汗。
「――いいえ、そういう事では有りませんが、何か、普通では無い感じがします」
「・・・?」
「――すみません、原因不明なのです。 ただ、マシントラブルでは有りませんので」
「・・・なら、良いけど」
本当に。
でも、じゃあ一体なんなんだろう。
「――ありがとうございます」
セリオは頭を下げた。
彼女の言った事を気にしつつ、坂をひたすら登る。 途中何度か、踊り場になっている所を折り返す。 そうやって、15分も登っただろうか、前方に隙間から漏れ出してくる光が見えた。 扉のようだ。 やっと出口らしい。 それを見たみんな、示し合わせたように、ほーっ、とため息をついてしまい、顔を見合わせて、苦笑い。
「済まないな」
扉の前に立って振り向いた、久穏さんが言う。 「大切な実験とやらで、昇降機の方に動力を回せないのだ」
エレベータが有ったのか・・・。 地底湖の方には、それらしき物は見えなかったが。 岩肌へと巧妙に隠されていたのだろうか。 無意味で大掛りで馬鹿馬鹿しい事が好きな人ならば、そうしているに違いない、きっと。
「ようこそ」
ぎぃ、と彼女は扉を押し開ける。 「娯楽の殿堂へ」
眩しい光が差し込んで来て、洞窟の暗さに慣れた僕達の目を焼いた。
目が視力を取り戻して行く。 見えてきた風景の第1印象は、テーマパークみたい、だった。 黒い瓦の葺かれた、如何にも日本建築といった趣の平屋の屋敷に、レンガ造りの洋風ビル、はたまた白い壁のコテージ、そうかと思うと、カマボコ型をしたダークグレイの格納庫みたいな建物。 そんな屋敷群が、石畳の道の片側に沿って、並んで建っているのである。 で、道のもう片側はどうなっているのか、というと、学校の運動場のように、土の敷地が広がっているだけ。 特に建造物は無い。 ・・・建造物、は。
「――xxxさん、あれは・・・」
セリオも、『それ』に気付いたようだった。
「・・・うん」
『運動場』のど真ん中に停まっている『それ』には、僕もセリオも見覚えが有った。 黒い鉄十字を横っ腹に付けた、真っ赤な三葉機。 フォッカーDr.I。 レッドバロンの機体が、そこに在った。 どうやら、『運動場』という呼び名は、『飛行場』と訂正した方が良さそうである・・・なんて、妙に落ち付いて考えていられるのは、久穏さんに会った時に、既に『白雲先生』の正体が読めていたからだろう。 その予想の裏づけとなる物が、一つ増えただけの事だ・・・ってイヤだな。 こんな風に何もかも先読みして落ち付いてるのって、まるで主任みたいじゃないか。
しばらくの間、ぽかんと突っ立っていた僕達だが、久穏さんに促されて扉をくぐり、外に出る。 そよ、と潮風に顔を撫でられた。 辺りを見まわすと、この敷地は、周りをグルリと白く高い壁に囲まれていて、壁の外がどうなっているかは分からないようになっていた。 まぁ、おそらくは、すぐ断崖になっているのだろう。 ちょっと足がすくむ。
「さて、あたしはどうすれば良いんだか」
珍しい事もあるもので、あの美霊さんですら気後れして苦笑を浮かべている。 「驚けば良いのか、呆れれば良いのか」
「同感ですわ」
更に意外な事に、普段なら、キャーあのコテージ素敵ですわっ、と真っ先に騒ぎ出しそうな紅玉さんですら、苦笑するのみだ。 さすがに疲れたのかも知れない。
「変な事続きで、もう、どうでも良いや、って気分ですね」
源四郎君も同様。 「矢でも鉄砲でも持って来い、って所です。 何が来ても、驚けませんよ、もう」
そんな彼を、久穏さんは大真面目にたしなめた。
「そういう事は、余り軽々しく口にしない方が良い。 ヤツの場合、文字通りの意味に捕らえかねない。 ついでに言っておこう。 この島においては、驚きが麻痺する事は無い。 諦める事を覚えるまでは」
ヤツ、とは、白雲先生の事だろう。 つまり、彼は本当に弓矢と銃で武装して襲いかかって来かねない人物、という事か。
「あ、それで、白雲先生は」
聞いたのは映一郎さん。 「たしか、実験中だとか」
「ああ」
久穏さん、肯く。 「一昨日から庵(いおり)のヤツも来てるからな。 白虎を完成させるんだ、とか何とか言ってたから、大方、昼飯も食べずに篭もり切りなんだろう」
庵は人名らしいが、白虎、って何だろう。 察するに、何かの発明品のようだが。
「ちょうど良いから、少し休憩させよう。 でないと、ヤツら、平気で一週間はあそこから出な・・・」
そう言いながら、彼女が、ぴっ、と格納庫を指差した時。
ぼこーん。
こもった爆発音が響くと、その格納庫の窓という窓から、白い煙がモクモクと湧き出し始めた。
「・・・また、何かやったな」
もう驚かない、とまで言ってた源四郎君ですら口を半開きにしているのに、久穏さんは落ち着き払っている。 というか、達観していた。 この程度の事は日常茶飯事らしく、眉一つ動かしていない。 これが、『諦める』という事なのか。 「まぁ、こんな事になる、と最初から分かっていたが」
ぼこんぼこーん。
彼女がそう言っている間にも、爆発音は止まらず、また、煙も、音に合わせて断続的に吹き出している。 何か、連続して爆発を引き起こす装置――例えばエンジンとか――の実験なのかもしれない。 けれど、幾ら何でもあの光景は異常だ。
「前言を撤回する」
格納庫の方に向けていた足を、久穏さんは日本家屋の方へ向け直した。 「しばらく放っておこう。 さすがに、今近づくのは危険だ」
しかし。
危険は、向こうの方から近づいて来たのである。
ぼかーん!
一際高く鋭い爆発音と共に、格納庫の屋根の一部がめくれ、吹き飛ばされて来た。 その光景はスローモーションのように目に映り、はっきりと理解できたのに、とっさには対応できない。
「お任せを!」
そう叫んで真っ先に行動したのは、源四郎君だった。
洞窟の出口に突っ立った僕達を押しのけて、最前列に立ち、足を踏ん張った。
後から考えれば、身に迫る危険、という『分かりやすい』事態が、彼に正気を取り戻させたのだろう、と理解できる。 が、この時は、そんな分析をしている余裕は無かった。
「おおおおおおおおおっ!」
ガシィッ!
彼は雄叫びを上げ、飛んで来た鉄板を両手で掴んで受け止める。
「むうっ」
地面にめり込む、彼の踵。
ムキムキと盛り上がる二の腕の筋肉と、浮き出る血管。
「・・・ぬ・・・うんっ!」
気合い一閃。
彼は鉄板を横方向へと投げ捨てた。
ヒュンヒュンとフリスビーのようにそれは飛び、敷地を囲む塀の向こうへと消えて行った。
「むん!」
満足げに両の拳を打ち合わす仕草をした彼。
「御見事」
久穏さんにそう誉められて、照れくさそうに振り向いた。
それにしても・・・本当に人知を超えているな・・・彼。
屋根が剥がれて開いた穴から、プスプスと格納庫は白煙を上げつづけている。 そろそろ納まったのかな、と思うと、また軽く爆発音が響いて、煙の量が増える。 その繰り返しだ。 まさか、『白雲先生』の筆名の真の由来は、あの煙ではあるまいな。
ぼこーん。
また大きく爆音が響く。 すると、格納庫から誰か出て来た。 もう1人出てくる。 計2人。 何やら、慌てた様子でこちらに走ってくる。
走ってくるのだが。
その2人の姿を見て、僕は、『振り返れば奴がいる』を思い出してしまった。 昔テレビでやっていた医者のドラマである。 そのオープニングでは、石黒賢の扮する白衣の医師と、織田裕二の扮する黒衣の医師とが、並んで走っている映像が続くのだが、格納庫から出て来た2人の様子は、まさにそんな感じだった。 彼らのうち、片方は白衣、もう片方は黒衣を来ているのである。 まぁ、この場合は、医師では無くて技師なのだが・・・。
そんな事を考えていると、セリオがボソリと呟いた。
「――アシュラム」
「・・・それは『黒衣の騎士』」
「――ありがとうございます」
メイドロボの大切なつとめ・・・を、何も、ボケに使わなくても。
などという漫才が背後で繰り広げられていると知ってか知らずか、映一郎さんは、走ってくる2人に向かって大きく手を振った。
「先生〜、白雲先生〜」
白衣の技師の方が手を振り返している。 そちらが白雲先生か・・・という事は、黒衣の人の方が、庵さん、という事になるな。
「どうなさったんですか〜」
当然の質問ではある。 だが、爆発炎上・・・じゃないか、煙上?・・・している建物から逃げてくる人間に向かってするにしては、マヌケな質問だ、とも思う。
「いやー、ちょっとなー」
これが、白雲先生の第一声だった。 走りは思いきり真剣な割に、声は妙に楽しげである。 逃げる事すら楽しんでいるような感じ。 でも、何から逃げているのだろう。
がごぉん!
「!?」
衝突するような音が耳を打つ。 紅玉さんなどは、びっくりして15センチくらい飛び上がっていた。
がごぉん! がごぉん! がごぉん!
その音は何度も何度も響いた。 格納庫前面の壁が外側に向かって膨らみ、変形して、ヒビが入る。 何物かが、ガムシャラに内側で体当たりしているようだが・・・膨らみ方が普通では無い。 あれなら、中で暴れてるものは、全高数メートルはありそうである。
「・・・熊でも飼ってるんですかね」
呟く源四郎君。 ひょっとして、熊殺しのチャンス、とか考えているのかも知れない。
「生き物の類じゃ無さそうだよ」
美霊さん、百合一文字の柄に手を掛けた。 何か有れば、すぐに抜刀するぞ、という構え。 「あんな激しく暴れてるってのに、闘争心みたいなものが全然感じられない。 これが人間なら、あるいは、氷の闘争心、って事も考えられるけど・・・」
「いくらなんでも、あんなに大きい人間は居ませんわ」
と、紅玉さん。 「でも、それなら、あれは一体何なのでしょう」
それを聞いて思い出した。 あの格納庫の中で暴れているのは、さっき久穏さんがチラリと言った『白虎』では無いか、と。 けれど、具体的にそれが何なのか、までは分からない。
そうしゃべっている内に、がこんがこんという音が響く中を逃げてきた2人は、僕たちの所へと到着した。
「いやー、参った参った」
白衣の技師、白雲先生は、全然参って無さそうな顔で笑った。 「・・・おう。 君らが例のそっくりさんだな。 話は聞いておる。 映一郎から聞いてると思うが、私が白雲だ」
「xxx、です」
「――セリオ、と申します」
ペコ、と頭を下げたが、彼はセリオとせりおさんを見比べているだけで、僕の方には余り興味が無さそうだ。 正直な人である。
「いやいや、よく似てるな。 これは面白い。 双子では無いそうだが、いやはや。 さてさて、これは偶然か必然か。 これをネタに、ちょっと面白い話が書けそうだな。 映一郎君、次の連載はこれで行ってみようか」
さも可笑しそうに、ピンと張った口ヒゲを撫でている。 そうそう、白雲先生だが、天に向かって逆立った髪も、激しく伸びている眉も口ヒゲも、真っ白。 で、目はランランと好奇心に輝いている。 もう、見るからにマッドサイエンティストだ。 雷の鳴り響く嵐の晩に、人造人間の実験をしている、と言われても、素直に納得できてしまいそうな感じ。
そして、そんな白雲先生と対照的なのが。
「・・・あまりジロジロ見るのは、ご婦人に対して失礼だぞ」
と、彼をたしなめた黒衣の技師、庵さんである。 短めに刈られた髪は、ところどころ白いものが混じっているが、全体的にはダークグレイだ。 けれど、ロマンスグレイ、という雰囲気では無い。 冷静な感じの人では有るが、『老成して』はいないのだ。 まだまだ現役、最前線で戦える、という雰囲気は、白雲先生と共通している。
「いや、失敬失敬。 美人には目が無いのでね」
白雲先生、笑いながら、ぺち、と自分の額を叩いている。
ちなみに、呑気な会話に見えるが、今も例の衝撃音は続いている。 大した度胸である。
「気持ちは分からんでも無いが、奥さんの前だぞ、少しぐらい慎め」
嘆息する庵さん。 「・・・ああ、申し遅れて済まない、私は筑波庵と言う。 以後宜しく」
つくばいおり。
つくば。
・・・って。
僕はセリオと顔を見合わせた。
筑波の姓を持つ知り合いは、居る。 縁さんと響さんだ。 その・・・御先祖、なのか?
言われてみれば、冷静な感じは響さんに似ているし、彼からにじみ出ている前向きな感じは、縁さんに似ているかも知れない。 顔だちも・・・似てる、かな。 どうだろう。 男と女の違いは有るが・・・似てる気がする。
「なんだ?」
しばらく固まっていた僕たちを見比べて、白雲先生は不思議そうな顔をする。 「庵の奴がそんなに珍しいか?」
「本人を目の前に、奴とか言うな」
庵さん、コメカミを押さえている。
「気にするな気にするな」
「気にしても無駄な事はよく知っている」
「分かってるじゃないか」
また、がはは、と笑う白雲先生。
ふっ、と真顔に戻ると、セリオの目を見た。
「――・・・何でしょう?」
首を傾げる彼女。
「聞く所に寄ると」
ちらっ、と彼は映一郎さんの方を見た。 「君には何やら不思議な力が有るそうだが、ひとつ、この私について、何かやってみてくれんかね?」
例の夢のこと、か。 この時代の情報を、セリオは断片的にだが知っている。 けれども、今、白雲先生についてだけなら、僕もその力を発揮できそうだった。 何故なら、彼の顔は・・・。
「――では」
セリオは軽く肯いた。 「――林田克哉氏とは、どのようなご関係ですか?」
質問の形をとって、彼女は『攻撃』をしかけた。
「・・・ほぉ」
白雲先生・・・林田克哉さんに似た彼は、目を丸くした。 その顔から笑みが消える。 「なるほど・・・これは興味深いな」
「でしょう?」
映一郎さん、少し得意げ。 「当然ながら、僕は先生について、詳しい事は一切語っていません」
「ふーむ・・・克哉について知ってる人間は、後は身内しか居ないはずだしな・・・。 いわゆる千里眼というやつか? 面白いな、いやいや、面白い」
「あの、克哉さんとはどう言った関係で・・・? それから」
僕は『飛行場』に停まっている赤い機体の方を見た。 「あの飛行機は?」
「ん? フォッカーの事まで知ってるのか?」
ここで彼は意外そうな顔。 「・・・それなのに、私とヤツとの関係が分からん、と? 変わった千里眼だな。 何もかも御見通し、という訳でも無いのか。 ・・・ふーむ。 神通力とはいえ、万能では無い、か・・・そういう観点の話はこれまで無かったな。 その線で一本書くのも面白いか・・・」
白雲先生って、どうやら、頭の回転が早過ぎるようだ。 どんどん周りの人を置いて、思考を展開させて行ってしまう。 彼の場合は、独り言のようにしゃべりつつだから、何を考えているか追跡できるが、沈思黙考型の人だったら、常人には付いていけないだろう。
「・・・と、いや、失敬」
彼は自分の世界から出て来た。 「つい考え込む癖が有ってな。 そうそう、克哉だが、ヤツは私の息子だよ。 今はドイツに留学しておる。 フォッカーだが、あれは私のものだ・・・ヤツは再三、くれくれと言ってはいるがな」
パチリ、とウィンクなどしている。
父親、か・・・林田さんは、反発して正反対のタイプにならず、思い切り白雲先生の血を引いたらしい。
「・・・楽しんでいる所、水を注すようで悪いが」
庵さんが顎をしゃくった。 「当面の問題を片付けてからにしないか?」
ペースに飲まれがちになるのと、興味をそそられたのとで、そちらに思考を回している余裕が無かった・・・いや、凄くイヤな予感がしたから、わざと考えないようにしていた・・・が、がごぉん、がごぉんと、衝撃音はずっと続いているのである。
格納庫の壁に入っていたヒビは、今や、亀裂と呼べるまでに成長していた。
あと数撃で、崩れ落ちるだろう。
「おお、そうだったそうだった」
白雲先生、本当に忘れていたみたいである。「とはいえ・・・どう片付ければ良いんだか」
彼が腕を組んだのと、同じタイミングで。
がごぉん! ぉんぉん・・・。
『それ』はついに、壁を破壊して格納庫から現れた。
「・・・」
一同、沈黙。
他の人達は、たぶん、初めて見る物に対する驚きで、言葉を失ったのだろう。
けれど。
僕とセリオは、違った。
・・・同じコンセプトのものを、見た事が有ったのである。
「・・・先生、あれ・・・何ですか?」
映一郎さんが、かすれた声を絞り出す。
「白虎」
白雲先生は、唇の端を自信満々に吊り上げた。 「最高傑作、かな」
ギャリギャリギャリ・・・と、金属のこすれ合う音を立てて出てきた『それ』は。
巨大ロボット、だった。