追悼
日本アコーディオン界のゴッド・ファーザー
アコーディオン・ジャーナル(2005年春号) 2005年4月1日 4ページ
日本アコーディオン界のゴッド・ファーザー
尾上隆治氏 名古屋アコーディオンクラブ会長 急逝
大晦日に渡辺楽器店(渡辺節男)さんの葬儀で年が変った1月5日、名古屋の尾上隆治(おのえ・たかはる)氏(尾上機械会長)の訃報。享年91才。年末年始は上機嫌でアコを弾いていたと言う急逝だった。東京時代の若い頃にはベートーベンのメヌエットを愛奏し、名古屋へ帰ってアコーディオン・クラブを創り30年に亘る最盛期に毎年演奏会を行い一貫して”アコはアマチュアの楽器”を標榜し1979年、氏の提唱でアコーディオン150年際を東京で盛大に催した。
日本一のアココレクターとして、展示会、テレビ出演(1976年NHK)、豆本の出版。自社に野球チームを創り職業人戦に出場。箸袋、五輪グッズの蒐集等専従事務員を置くほど半端でなく、企業と趣味に存分生きた長身のドンだった。 太田敏雄、斉藤卓郎など名手も育てた。

日本のアコーディオン界の名物男
NPO法人日本アコーディオン協会
◆機関誌「アコーディオニスト」 vol.21 〈2005年4月15日〉 16ページ
JAA顧問・尾上隆治氏を偲んで
NPO法人日本アコニディオン協会顧問・尾上隆治氏、ご逝去
尾上隆治氏が、1月5日にご逝去されました。
氏を偲んで、友人である全関西アコーディオン協会会長・堀部隆次さんに氏の思い出を語っていただきました。
趣味が物語る、91年の生涯
日本のアコーディオン界の名物男、尾上隆治さん(元名古屋アコーディオンクラブ会長)が91歳の天寿を全うされました。昭和11年に名古屋アコーディオンクラフを創立するなど、戦前戦後の活躍ぶりは誠に立派でした。
会社(尾上機械)を経営する一方で、ご趣味の広さはすばらしいものがあり、生涯をいろいろなコレクションと共に過ごされたと申しても過言でないと思います。昭和51年3月15日、漫画家滝田ゆうさん司会によるNHK番組「この人この趣味」にアコーディオンと共に登場し、趣味の一端を披露。オリンピック関連グッズのコレクション、全国箸袋同好会の結成、愛知県軟式野球連盟の会長をされるなど、枚挙に暇がありません。
アコーディオンのコレクションも約100台。「手風琴の本」という豆本も出版しました。昭和15年、東京でアコーディオンコンクールがあり、私も出場しましたが、その持の審査員のひとりが尾上さん。それ以来、長いおつきあいをさせていただきました。どうか、安らかにお眠りください。
全関西アコーディオン協会会長・堀部隆次
故尾上隆治氏
尾上氏は、日本アコーディオン協会の創立時より今日に至るまで顧問として携わり、NPO法人化に際しても資金援助を申し出るなど、JAA発展のために尽くしていただきました。
ここに、謹んでご冥福をお祈りいたします。
●尾上隆治氏のコレクション拝見
尾上アコーディオンコレクションの一端を、7年前のJAA機関誌に掲載されたインタビュー記事の中から、改めてご紹介します。
私の持っている、この曲がり鍵盤式アコーディオンは、昭和12年ごろ出たホーナー(HOHNER)社の「オルガネッタW」。通称は「曲がり」。いかつくて鎧を着て弾いているみたいだとよく言われました。
高音部の鍵盤のロットが無理して大きくなっている。鍵盤が末広がりに曲がっている方が、肘を基点とする動きが自然になるという訳です。ドイツ人はそういうことを考えるのが好きです。ホーナー社がずいぶん宣伝して売ろうとしたが、結果的にはあまり売れなかった。世界中で総スカンをくったんです。音は…、出ると思いますよ。(実際にアコーディオンを抱えてみて…)、ああ、いい音がしているね。
これには悲しい物語がありましてね。このアコーディオンをね、戦争中に浜松からアコーディオン仲間の平岩由康君(元NHKアコーディオニスト斎藤卓朗君の先生)が来て、ぼくがいやだというのに、どうしても欲しいと言って、無理やり持っていっちゃったんです、お金を置いてね。
やがて戦争が激しくなって、爆弾がどんどん浜松にも落ちるようになった。ある日、平岩君はいつものようにアコーディオンを抱えて防空壕に飛び込んだ。奥様が一緒に後ろから来たけれど、この楽器があるために、満員だから向こうの防壁壕へ行けと言われて、奥様は反対側へ。そこへ大型爆弾が直撃して…、奥様は亡くなって、この楽器が生きたんです。
そういう悲惨な思い出があるので、戦後に平岩さんは「お返しする」と言って、また、私の手元へ帰ってきた楽器なんです。
JAA機関誌「アコーディオニスト」Vol.7(1998年5月発行)より抜粋。
