ルカ・ラッジさんのこと
大阪外大の曽根田君からメールが届きました。ほぼ全文掲載します。
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ルカ=ラッジさんを偲んで
大阪外大体育会剣道部5回生 曽根田和久
昨年12月、元大阪外大日本語教育センター留学生のルカ=ラッジ氏が亡くなられた。
かつて第二体育館で共に剣を交えた仲間として、僭越ではあるが僕が剣道部と彼の
思い出を書き留めておきたいと思う。
ラッジさんは僕が大学へ入学した平成6年にイタリアはローマから大阪へやって来た。
彼は専門であるスターリングエンジンの研究の為に来日したのだが、それに先立ち彼の
日本語能力をさらに高める為に大阪外大の日本語教育センターへやってきたのだった。
彼はイタリア人と日本人のハーフで日本語がとても堪能だった。しかもローマで剣道を
学んでいた。彼はすぐに剣道部の稽古に参加するようになった。
彼は忙しい日本語の授業の合間を縫って積極的に稽古に参加した。夏休みになり
合宿が行なわれると、彼もフル参加した。兵庫県ハチ北高原での合宿は長年剣道を
やってきた経験者達にも厳しいものだったが、ラッジさんは僕らと共に合宿を無事に
乗り切った。最終日の打ち上げでラッジさんと僕たちは本当に狂ったように飲みまくっ
た。僕も彼に8割がたウオッカの入ったスクリュードライバーを飲まされそうになった。
あの時彼は樋口先輩の横で飲んでいたと記憶している。酒にはかなりの自身を持って
いたらしい彼も樋口さんの酒量にはかなわなかったのか、最後にはダウンしてしまった。
次の日、昼食のカレーライスを本当に苦しそうに食べていた彼の顔はいまだに忘れられ
ない思い出だ。
彼が大阪外大剣道部にいるのも残り少なくなった9月に昇段審査が行なわれた。彼は
初段を受験した。一次審査の実技を無事クリアして、二次審査は形と学科。彼は昇段前に
「気剣体」などの剣道特有の日本語にとても苦労していた。しかしそれを乗り越えて、彼は
見事に初段に合格したのだ。「初段を持っているイタリア人はいるだろうが、筆記試験を
日本語で受験して合格したのは僕が初めてだろう!!と言って笑った彼の顔は本当に
いい顔をしていた。
その後、ラッジさんは大阪外大から福島県の日本大学理工学部へ、そして早稲田大学
大学院で専門のエンジン研究を続けていた。彼の研究は大変なものであったらしく、以後
剣道の稽古からは遠ざかっていたようである。そんな彼も東外戦の時には必ず我々の
応援にきてくれた。夜には昔と同様に一緒に酒を酌み交わした。いそがしい研究のなか、
彼は決して僕ら大阪外大剣道部の事を忘れることはなかったのだ。僕らも決してラッジさん
を忘れることはないだろう。彼は僕らの中で永遠に生き続けるのだ。
ラッジさん楽しかった日々をありがとう
そして、やすらかに……
前述のとおり、ルカ=ラッジさんは昨年の12月に病気のために東京で亡くなられました。
目黒のサレジオ教会での葬儀の後日本で荼毘にふされ、現在は故郷のローマでやすらかに
眠られています。
(上記の文章は98年度大阪外大剣道部OB会報に掲載予定の追悼文です)
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平成6年の外大戦(東京にて)の後、ラッジさんと曽根田君は私のアパートに泊まりました。
体の大きいラッジさんにベッドで寝てもらったことや、その後もわざわざ遠くから外大戦の
応援に来てくれたこと、年賀状をもらったことなど、楽しい思い出ばかりです。
いつかまた会えると思っていたので残念でなりません。
ラッジさんのご冥福をお祈りいたします。(伊藤)