2004/07/01(木)
『桧扇』 あっぱっぱ貝らしい、あっぱっぱ貝。 なんだかよくわからないが、あっぱっぱ貝。 同僚が騒いでいたよ、あっぱっぱ貝。 「だれか近々伊勢志摩の方へ行くやついないか、うぉぉぉ」 「そういえば上の階の人々が伊勢神宮へ行くとか行かないとか。 外国の方の接待だとかですよ、うぉぉぉぉ」 「指令だ、指令を送れ、うぉぉぉぉぉ」 フィクションです、多分に。 大分みんな疲れているのか。 せこさんが詳しいのだろうか、あっぱっぱ貝。
2004/07/02(金)
『いろいろ見た話』 最近見に行ったもの。 日本の新聞広告賞作品展を見ました。 行ったのはナディアパークの方。 前見たのは2年前だろうか。 そのときより規模が縮小されていた気がします。 面白かったのは、キッコーマンですかね。 遺伝子組換え大豆不使用の広告 △犬豆 △太豆 △一人豆 △天豆 ○大豆 大豆の組換えなので本当は豆の字じゃないのですけれど。 審査員っぽい人がだらだら語っている映像は余分じゃないかな。 あと、エッシャー展。 やっぱりエッシャー好きみたいですわ。 ハウステンボスでは結局行けなかったのですが。 同行者がいたのと建設途中だったため。 初期の普通の版画から晩年までの流れを追う展示でした。 初期のものがどうという話は置いといて、もちろん上手ですが。 エッシャーらしいのは複数世界の共存なのですね。 水面だったり、球体への映りこみで複数の世界を扱ったり。 平面の分割で徐々に変化して交差する世界を扱ったり。 ものの融合には、共通項による単純化が必要なのかな。 あと明確な境界面を設定しつつも、徐々に変化させて不明瞭とか。 確かに矛盾してないのに、感覚には矛盾を送られている気分。 松坂屋美術館結構面白い企画しますね。 前行ったステンドグラス展も面白かった。 かと思えばドラえもん展とかもしたりするし。 誰のセンスなのだろう?
2004/07/03(土)
『もう少しエッシャー』 エッシャーらしい作品が世の中に爆発的なヒットの前のこと。 多くの科学者がエッシャーの作品について興味を持ったらしい。 数学者が興味をもったというのならわかるのだけれど。 (ゴッホの渦とか) 結晶学の研究者というところがちょっと面白い。 この場合の結晶はタンパク質結晶ではなくて、無機物質だと思う。 化けの分野でイオン結晶とか六方最密とかの人々なのかなと。 X線結晶学者とかなんだろうなぁ。 あぁ、これだと物理か? 生物学者も興味を持った人がいたらしい。 どの分野かなと思ったけど、多分どの分野でもありそう。 生物学の人ってそんな感じ。 センスない人多いですけれど。 私はセンス以前で問題外なのですが。 分野候補の本命は数理生物学? うちのえらい人は存外デザインにうるさい方でした。 どこでそのセンス磨いたのやらと思っていたのです。 大学院の途中でデザイン学校に行っていたらしい。 大学やめるときに暴露されていました。 なるほどと手を打つ方が複数。 アートと科学の関係って、マテリアル、材料の提供はずっと深い。 アートというものが存在したときから素材提供は重要だったはず。 物理的に存在するもののアートは目的のものを作るだけの素材が、 わかりやすいのは建物とかに限らない構造物とか。 軽くて強靭な素材が開発されてこそというものもありますよね。 ただ、この関係は一方的で科学財産の利用という形が多いのかなと。 逆の方向にアートが科学に影響を与えたってあまり聞かない。 そこかしこでありそうなのだけど余り大々的に聞かない。 (元は自分のアイデアじゃない!なんて科学者は言わないからか?) エッシャーと科学者の関係はそういう点で面白いかなと。 どちらも同じ方向を見ていたという感じみたいですけれど。
2004/07/04(日)
『土佐の風』 土佐方面からの戦略的補給物資(主に食料)を土佐の風と私は呼ぶ。 今回のは「碁石茶」なり。 「この味、どこかで味わったような、味わったような、味わ・・・」 「発酵臭かな、すぐきとかつけものとか思い出す」 「う、なんだろう、なんだろう」 中国雲南省の少数民族の布郎(プーラン)族の酸茶がルーツとか。 碁石のような黒い塊なので碁石茶らしい。 ということは茶餅とか堅密とかの分類なのか。 塩分の多い水でも美味しくはいるらしい。 日本で3件しか作ってないらしいですよ? なんかカモミールティーとかも思い出すかも。 お腹に効きそう。
2004/07/05(月)
『初セミ鳴き』 いや、ずっと前に鳴いていたのかもしれないけど。 個人的に認識したのがついさっき。 my セミ初鳴き、とでも呼ぼうか。 梅雨入りも「今年のmy 梅雨入りは・・・」 なんてやってもいいと思うのですけれどね。 多数で日にちを共有しなくてもと。 雨が降る降らないなら天気予報で間に合うでしょうし。 定義は定義なので否定しませんが 労力がちゃんと指針になってるのかな。 「でも何年も経ってからふりかえるとき大切じゃない?」 「後年の気象記録として重要性について? それにしても、より詳細な毎日の記録がされてるからね」 「細かい情報があるからふりかえるのは難しくないのか」 「未来予測としての記録としては大雑把過ぎる」 春一番は必要ですか? サクラの開花宣言は必要ですか? 今年は猛暑でしたという確認は必要ですか?
2004/07/06(火)
『認識するということ』 あめんぼは 雨のにおいではなく 飴のにおいがする 雨のにおいがすると勘違いした知り合いが、 雨のにおいを認識できるようになったらしい。 誤解も突き進めると到達するものがあるということか。 なりたいものになるためには、まず意識すること。 さらに意識を続けること。